現代仮名いろは歌
作 青空春志
色は匂うも
散りあせる
人の世さえて
常ならん
深き山越し
細く夢見ぬ
我を助け"無"へ
いろはにおうも
ちりあせる
ひとのよさえて
つねならん
ふかきやまこし
ほそくゆめみぬ
われをたすけむへ
解説
匂い立つような色の花も散って褪せてしまう。この人の世は障(さ)えて(妨げられたり、邪魔されたり)いつも一定では無いよ。
さあ人生の深い山を越えて、細く弱々しい浅はかな夢など見ることはしないで。自らの努力で「無」の境地を目指しなさい。昔の伊呂波歌と意味がほとんど同じです。
語句説明
色=仏教用語の色即是空の「色」この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は「空」(くう)であり、不変のものではないという意。
散りあせる=散り褪せる、色があせる。時間が経ちもとの艶がうすれる。さめて美しさを失う。
さえて=障えて(さえて)。妨げられて、邪魔される。常用漢字表にない読み方(音訓)です。下記画像。「さえる」は冴える(楽しい、良い)でも解釈できます。その場合は 人の世は冴えて楽しいがしかし、いつもそうとは限らない。浮き沈みがありますよ、とも。
深き山=奥深い山、奥山、深山(みやま)。どの辞書をみても深山と書いて「ふかやま」とは読まないようだ、それで「ふかやま」とはせずに「ふかきやま」にした。人名ではふかやまとも読むが。奥山はよく人生の修行、厚みによく例えられるようである。
細く=単に細いだけでなく、弱々しいの意味も有ります。下記画像 例=食が細い。か細い。
夢見ぬ=夢を見ない。否定形。
我を助け=自分が自分自身を助けよ、人に頼ろうとする前にまず自ら努力しなさいという意味。《天は自ら助くる者を助く》いう意味。下記画像。ちなみに直接関係ないんですがアニメの「天空の城ラピュタ」で呪文が「我を助けよ、光よよみがえれ」というのがあります。
無へ=「無」へ。無の境地の略。無の境地とは人間の本能から解き放たれ精神の迷いが無くなった状態を表しています。仏教では「悟りをひらく」とも言う、下記画像。
=評=ご存知昔の「伊呂波歌」と同じ内容を現代仮名遣いで作ったものです。 昔の伊呂波歌当時は今とちがって、濁点がまだ発明されて無く、「し」も「じ」も、いっしょくた。「ゐゑ」が有り「ん」が無い。47文字だった。そこで最新の、いろは道楽会やNHKなどのルール「あ〜ん」の純粋46字で作ってみたものです。昔の「伊呂波歌」にはいろいろな解釈があるが、《涅槃経》の四句の偈(げ)〈諸行無常,是生滅法,生滅滅已,寂滅為楽〉の意をとったものというのが有力です。
以前の私の作品を改善したものです。以前の作品は「酒をへらす」という内容がありましたが、酒飲まない人には意味が無い歌になっていました。下記。上の写真の画像はハスでは無くスイレンです。
以前の現代仮名いろは歌
色は匂うも
散りあせて
渡る人の世
常なれん
深き山を越え
細く夢見ぬ
酒減らし住む
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伊呂波歌の現代語訳の一例です(ネットから) 物理的な物を「花」に例えているようです。そういう表現がその時代はあったようです。
酔いもせずというのは本当に酒を飲むのでは無くて、横道に傾倒するな、変な物に心を染めるなみたいなのが多いようです。
伊呂波歌原文
色は匂へど 散りぬるを いろはにほへと ちりぬるを
我が世たれぞ 常ならむ わかよたれそ つねならむ
有為の奥山 今日越えて うゐのおくやま けふこえて
浅き夢見じ 酔ひもせず あさきゆめみし ゑひもせす
解釈例
色は美しく照り映えていても
(花は)散ってしまうものである
私たち この世の誰が
永久に変わらないことがあろうか
いろいろなことがある(人生の)深い山を
今日も越えて(いくのだが)
浅い夢など見ることはしない
心を惑わされもしない
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