津代古戦場
作 青空春志
津代の地
野戦有り
丘も草濡れ
苔古き
平和を夢に
弔う日
細手花据え
御霊寝よ
つしろのち
やせんあり
おかもくさぬれ
こけふるき
へいわをゆめに
とむらうひ
ほそてはなすえ
みたまねよ
解説
1609年旧暦の3月7日に薩摩軍が琉球侵攻の為に笠利湾から津代一帯に攻めて来た、笠利の軍と住民は応戦し犠牲者が多数出た。
奄美大島は琉球王国の防波堤となる。
1997年の人骨発見以来、三七会(みなのかい)が慰霊祭「水花香」を毎年行っている。朝露で丘の草が濡れている様は戦死者の悔しい涙のようだ。苔むす様は長い年月を感じさせる。世界平和を夢見ながら弔う日である。2023年は4月30日におこなわれた。 年取った細い手で花を据える、みたまよ安らかに寝よと願う。
語句説明
津代=
元琉球王国の奄美大島の奄美市笠利町手花部にある。1609年の薩摩の侵攻により薩摩の支配下になり、現在は鹿児島県の管轄。
野戦=山野での戦闘。
草濡れ=草葉の陰で悲しんでいる様。
苔古き=長い年月が経っている。
細手=細い手、会の者も年月が経ち老人と成り手もか細くなる。
花据え=しっかりと花を置きならべる。(下図)
御霊寝よ=魂よ安らかに眠れ。
資料 : 奄美新聞社 南海日日新聞社 津代古戦場 慰霊祭記事
=評= 414年前の事なのに心優しい奄美の人達の悔しさが蘇るようだ。最近ではロシア・ウクライナ戦争があるが、今も昔も変わらない権力者による領土欲なのか?。民族の興亡なのか?。
5、5、7、5、7、5、7、5、で揃えて、「現代いろは七五調定型」。
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