原発から逃げて500キロ…でも、そこに私たちの“安住の地”はなかったーー

資料 女性自身2011年7月19日号

「家はあっても援助や仕事はありません」家族のために自主避難した福島県民たちの悲しき叫び!

2011年東日本大地震、福島原発、放射能汚染、津波


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