必勝信じ「大和」待つ 梅雨の時期、毎日大雨が続く。泥道には死体が転がっていた。「神経がまひしていたのか、怖くなかった。いずれ自分もそうなるとしか思わなかったから」 1945年5月末、第32軍司令部の首里撤退を受け、大城盛昌さん(85)=当時(18)=の所属隊は旧南風原村神里から旧摩文仁村米須に逃れた。
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