目次 はじめに |
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第1章 削り取られた伊部岳 石原さんが飛びこんできた ヘリポートだろうか? 第2章 地方版に載ったスクープ記事 私は記事を送った 海兵隊の行動 第3章 べトナムへの出撃基地 泥沼に入った戦争 生きた心地がしなかった 米兵に追いかけられて 第4章 カシマタ山で何が起こっているのか 国頭山中での出来事 米軍のあらたな作業 米軍との約束 第5章 発覚した実弾砲撃演習場 新聞記事の衝撃 与野党を超えて それぞれの立場 調査団の仕事 第6章 村あげての反対闘争 安田部落で 楚洲部落で 国頭村の対策本部 過疎への危機感 |
第7章 大晦日の実力阻止 海兵師団からの通告 早朝の緊張 演習中止 第8章 緊迫の交渉と舞台裏 二度にわたるトツプ会談 軍人たちの不可解な対応 第9章 自然を守れ、運動のひろがり 第10章 教えてもらった貴重な情報 又吉課長からもらったヒント 軍当局と米民政府との対立? 第11章 鴨とウミスズメと米軍と 鴨池の鴨を救う 三宅島のカンムリウミスズメを救う 第12章 ノグチゲラを救え、一通の手紙から 「野鳥の会」の要請 国防長官に宛てた手紙 ショー卜博士の熱意 米軍の内部からも あとがき 主な参考資料 |
東京新聞(夕刊)2001年5月24日より
===書物の森を散歩する===
◎米軍と住民とノグチゲラ 『鳥たちが村を救った』 比嘉康文さん(元新聞記者)
ヘエ! 烏たちが村を救ったって、そんな話ホントにあったの?友人は拙著をみて納得がいかなさそうに呟いた。日本復帰(一九七二年五月十五日)、高等弁務官を頂点とした在沖米軍は絶大な権力を振るっていた。だから、実弾砲撃演習場計画が持ち上がったとき、正直に言って私は、計画を放棄させるのは無理ではないかと思った。しかも米国の威信をかけたベトナム戦争の最中である。ところが、あっけなく計画は中止となった。なぜそんなことが起こったのか。払は拙著でできるかぎり真相に迫ろうと思った。
拙著の舞台は、沖縄本島北部の国頭山地。一九七〇年十二月下旬から三カ月に起こった事件が中心になっている。演習場反対の住民運動はもちろん起こったが、一方で砲火から野鳥を救えという保護運動が世界的にわき起こった。国頭山地には一属一種の世界的な珍鳥ノグチゲラが生息していたからだ。このころ、アメリカでは「経済は栄えて、国が滅びる」という環境破壊に危機感を抱く世論が高まっていた。ニクソン大統領は「公害特別教書」を議会に送っている。また、「絶滅の危機にある種の保存法」という法律が改正され、滅びゆく生きものに対する保護の手がさしのべられた。 レイチェル・カーソンの「沈黙の春」から環境保護庁設置までのアメリカの環境行政は世界の手本になっている。ちょうどその時期に演習場とノグチゲラの問題が起こり、軍配はノグチゲラに上がったわけだ。米軍を動かしたのだ。
もっとも米軍はこの時期にベトナム戦争で枯れ葉剤を空中散布し、広葉樹林に覆われた自然を破壊し、そこに住む人々に深刻な後遺症をもたらした。枯れ葉剤の散布もノグチゲラの保護も、同じ米軍のやったことである。環境先進国アメリカの理解に苦しむ面ではあるのだが−。
拙著を読んだ住民の一人は「自分たちの反対運動だけで演習場を放棄させたのではなかったのか」と、やや落胆したような表情を浮かべた。老若男女を問わず体をはって反対闘争を展開してきた住民にとっては当然の思いだろう。また、当時の労組幹部の一人も「そんな事実があったとは知らなかった」と話している。当時の琉球政府や国頭村などが米軍に提出した演習場の撤去要求の中にも「ノグチゲラを守れ」という訴えは確かにあったが、まさかそれが直接のきっかけになったとは、誰も信じていなかったというわけである。だが、これは事実だった。演習場を建設させた在沖第三海兵師団はノグチゲラが天然記念物に指定され、絶滅の危機に瀕していることなどについて詳しく調べている。 また、こうした事例は必ずしも沖縄だけの特殊なケースではないことを強調しておきたい。終戦後間もないころ、三宅島の三本嶽に生息しているカンムリウミスズメを救うため、進駐軍に爆撃演習をやめさせたケースがある。加賀市の鴨池での米軍の銃による狩猟禁止などの前例も紹介した。
もちろん、私は人間の役割がたいしたことはなかったということを言いたいのではない。人間が自分たちの生活を守っていくためには、鳥や自然を守っていかなければいけないのだと思う。そうすれば自然は恩返しをしてくれる。
普天間基地の移設先にあげられている名護市辺野古海域にはジュゴンが生息している。ノグチゲラの先例にならい、ジュゴンを保護することによって私たちが守られるのではないか。私は強く期待している。読者にそんな気持ちをくんでいただければ有り難い。
(同時代社・一六〇〇円)
この記事は中日新聞にも5月28日に掲載されました。名古屋を中心に本州中部地域に200万部の発行部数を持つ新聞です。東京新聞とは経営が一緒で姉妹紙関係にあります.
このほか全国的なコープニュース、東奥日報などにも紹介され、好評です.
同時代社【マンスリーレビュー】より
『鳥たちが村を救った』執筆にあたって
比嘉康文
その日も一日の仕事が終わろうとしていた。1971年1月21日付の「沖縄タイムス」朝刊一面に載った五段抜き見出しの記事を読んでいた私は、ある思いにかられた。記事は「返還後も作戦行動 国頭演習場は撤回しない」という見出しで、西太平洋地域の軍事情勢視察のため来沖した米海兵軍団最高司令官レオナ−ド・F・チャップマン大将(57)の記者会見をまとめたものである。実弾砲撃演習場の使用を国頭村民たちが実力阻止してから約2ヵ月後に行われたチャップマン大将の記者会見は、村民らの“勝利”を打ち砕くものだった。
国頭村内の山中に建設された実弾砲撃演習場はベトナムに送り込む米海兵隊の訓練に使用するのが目的で、在沖米第三海兵師団が米国民政府、地元・国頭村にも通告せず勝手に建設したものだった。
会見は、復帰後も沖縄にある米軍基地、演習場が自由に使用できることを米海兵軍団の最高司令官・チャップマン大将が明らかにしたもので、沖縄住民が復帰後も相変わらず基地の重圧に苦しむことを物語っていた。
実弾砲撃演習阻止は、戦後沖縄で展開されてきた米軍基地撤去・演習反対運動の中で、初めて自然保護が前面に押し出された闘争でもあった。演習場が建設された伊部岳、カシマタヤマには特別天然記念物のノグチゲラ、リュウキュウヤマガメなどの固有種をはじめ亜熱帯地域の貴重な生きものが生息している。世界的な珍鳥・ノグチゲラを保護するため琉球政府は伊部岳一帯を鳥獣保護区に指定していた。また、植物層も豊かで300種を超える。地域の保護については、演習場問題が持ち上がる以前から沖縄や本土ばかりでなく、国際自然保護連合から国頭村や琉球政府に対して要請されていた。
もし、米海兵隊が予定どうり実弾砲撃演習を実施した場合には、それらの貴重な天然記念物、動植物が全滅する。また、アメリカ政府は自ら加盟している国際条約を破ることにもなった。アメリカ最大の自然保護団体オジュボーン協会をはじめ国際自然保護連合(IUCN)、国際鳥類保護会議(ICBP)など世界的な団体が保護に動き出した。
また、アメリカがベトナム戦争の泥沼から抜け出せずにいた1970年、アメリカの若者たちはベトナム反戦運動に走り、徴兵拒否の気運が盛り上がった。ニクソン政権は、若者たちの目を反戦運動から地球環境問題にそらすため初のアースデイに12万5千ドルを援助した。レイチェル・カーソン女史が「沈黙の春」を発表し、ジョン・F・ケネディ大統領がその事実を認めて以来、国民の間には環境保護への関心が高まった。環境・消費者問題は若い弁護士ラルフ・ネーダー氏によって受け継がれ、大気汚染や消費者問題が大きな政治、社会問題に発展した。大学闘争やベトナム反戦運動で挫折した若者たちが、ラルフ・ネーダー氏の運動に触発され、アメリカ社会で自然・環境保護運動を加速させた。特に、絶滅の危機に瀕している野生生物に対する保護の気運が高まり、その保護法は改訂に改訂を加えていった。
ニクソン大統領は1970年の年頭教書で、環境汚染に対する戦いを最重点政策にすることをあげ、「公害特別教書」を議会に送った。そのことで後に“環境大統領”というニックネームが付けられた。七月九日には「環境保護庁」を設置した。日本もアメリカをまねて一年後に「環境庁」を設置する。こうしたアメリカの動きが、実弾砲撃演習撤去の闘争に大きな影響を及ぼしたことは否定できない。
私は当時、沖縄タイムス名護支局に駆け出しの記者として赴任していた。そして、実弾砲撃演習場が発覚した時から演習中止、演習場放棄に至るまでをずっと追い掛けてきた。しかも当時、担当者だった琉球政府農林局林務課の又吉元一課長が北部営林署に来るたびにお会いし、ときには酒を酌み交わしながら、米軍との交渉の内輪話を聞くことができた。私は、又吉課長と一緒に山から帰るジープの中で聞いた言葉に触発され、琉球政府や国頭村、米海兵隊の演習、アメリカの動きなどを追った。
そして、世界的な珍鳥・ノグチゲラの生息が国頭山地の自然を米海兵隊の砲火から守り、砲撃演習から山間地集落の人びとの生命と財産を守った。この本はその記録である。