集英社発行月刊PLAYBOY2007年2月号の記事
佐野眞一氏取材
沖縄コンフィデンシャル(連載第17回)もう一つの県知事選




以下、記事より引用

しかし、知事選直前の那覇の町にはこんな辛辣な声もあった。
「糸数は基地をガイドするのは、そりゃぁ、うまいさ。だけど、外交の素人の糸数が、アメリカ相手に基地返還の交渉ができるとは誰も思わんさぁ」

屋良の得票数はふたをあけてみれば、皮算用の6万票に届くどころか、その約1割の6220票しかなかった。それでも、1968年、琉球独立党を旗揚げした野底土南(現・琉球独立党名誉総裁)が、沖縄初の主席選に挑戦したときの264票という獲得数の20倍以上の得票数だった。それを思えば、たいへんな善戦、前進だったといってよい。

仲井真とは、糸数と会った翌日のインタビューを約束していた。だが、選挙後に出る雑誌の取材は受けても意味がないし、時間も全くとれない、との理由でドタキャンされた。発売日については最初から言ってあったことなのに、それを平気で反故にする。そんなルール無視の対応にも仲井真の不誠実さと、官僚的傲慢さを感じた。