国民の命守る責務放棄 比嘉康文
わが沖縄には「他人に殴られては寝ることができるが、他人を殴っては寝ることができない」という意味のことわざがある。
昨年12月27日の本紙に載った「海つぶす移設求めてない」という中村桂さんの談話を読み、前記のことわざを思い出した。
中村さんは2004年8月、沖国大に米海兵隊のヘリコプターが墜落した事件で、もっとも身の危険を体験した方である。生後6カ月の長男を寝かせていたすぐ傍に大きなコンクリート片が落下、間一髪で難を逃れた。その破片で窓ガラスが壊れ、大惨事になりかねなかった。
たまたま車で通りかかった妹が「飛行機が墜落する。早く逃げなさい」という電話で、中村さんは長男を抱いて逃げた。その直後、コンクリート破片が飛び込んできた。普天間の危険性をもっとも肌身に感じた中村さんが「あの海をつぶして新基地を造るくらいなら、普天間はこのままでもいい。私は移設してなんて1回も言っていない」と強調している。その言葉はもっとも重く、前述のことわざを体現している。
県関係の自民党国会議員5人が「除名怖さ」と、次の選挙の「公認」ほしさに選挙民との約束である「県外移設」をほごにして、「辺野古移設」を認めた。その厚顔無恥に対して保革の別なく県民から批判が集中している。
中村さんは「宜野湾市民のために基地という毒を辺野古に持って行くと言われたら、県民同士で押し付け合い、けんかになる。勝手に承認するなら『自分の都合です』と、はっきり言ってほしい」と述べている。まさに正論だ。
普天間の危険性は辺野古に移設しても消滅するものではない。辺野古周辺にも同じく県民が生活しているのだ。宜野湾市民に比べて人口が少ないので、万一事故が起こっても犠牲が少なくてすむ。自民党の国会議員たちはそう考え、命の比重を計っているのか。それは国民の生命と財産を守るという政治家の責務を自ら放棄し、「あまりにも無責任だ」と言わざるを得ない。
もっとも普天間の危険性を身に感じた中村さんの前述の「海つぶす移設求めていない」という言葉はとても重い。そして仲井真弘多知事や自民党国会議員、自民党県連、宜野湾市長、浦添市長や金武町長など辺野古移設容認派に対しては「せめて私たちをだしに使わないで」と訴えている。その中村さんの言葉にぜひ答えてほしい。ぜひ、一人ずつ説明してほしい。それが公人としての務めだ。
かりゆしクラブからお願い
この比嘉康文さんの意見に反論なさりたい方は、本名、電話、住所をぜひ書かれて下さい。比嘉さんは選挙のチラシでも自分が作ったものには氏名、電話番号、住所を明記される方です。本人が確認できない意見は幽霊のことばであり、信用できないという考えの方です。以上
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