軍隊のない国家を訪ねて          週刊金曜日2007.4.27(652号)
憲法第九条は現代平和主義の源流になっているか?

世界で戦争放棄の条項を持つ国は少なくない。また戦力不保持の国も点在する。
ではその両方を憲法で明記している日本はどうか。「平和憲法」は、世界に影響を与えてきたのだろうか(前田朗)。



 三月六日、来日中のモラレス・ボリビア大統領は、安倍晋三首相との会談において、「現在進めている憲法改正において、戦争放棄を盛り込みたいと説明した」という(外務省「日本・ボリビア首脳会談(結果概要)」による)。

戦争放棄は珍しくない

 ボリビア憲法がどのような条項を盛り込むかはいまだ不明だが、実は世界の憲法を見渡せば戦争放棄条項や平和条項はそう珍しくない。西修(駒澤大学教授)によると、広い意味での平和憲法には次のような類型があるという(「世界の現行憲法と平和主義条項」西修ゼミナール・ホームページ)。
1.平和の重視や平和制作の推進(インドなど四八ヵ国)
2.国際協調や国連憲章の遵守(レバノンなど七五ヵ国)
3.内政不干渉(ドミニカ共和国など二二ヵ国)
4.非同盟政策(アンゴラなど一〇ヵ国)
5.中立または永世中立(オーストリアなど六ヵ国)
6.軍縮の志向(バングラデシュなど四ヵ国)
7.平和的国際組織への参加等(ノルウェーなど一八ヵ国)
8.国際紛争の平和的解決(カタールなど二九ヵ国)
9.侵略戦争の否認(ドイツなど一三ヵ国)
10.テロ行為の排(チリ、ブラジルの二ヵ国)
11.国際紛争を解決する手段としての戦争放棄(日本、イタリアなど五ヵ国)
12.国家政策を遂行する手段としての戦争放棄(フィリピン一ヵ国)
13.外国軍隊の通過禁止・外国軍事基地の非設置(ベルギーなど一三ヵ国)
14.核兵器の禁止・排除(パラオなど一一ヵ国)
15.軍隊の非設置(コスタリカ、パナマの二ヵ国)
16.軍隊の行動に対する規制(アメリカなど三〇ヵ国)
17.戦争の扇動の禁止(ドイツなど一二ヵ国)
 戦争放棄条項等が珍しくない事は知っておいた方がよいだろう。一九二八年の不戦条約や、四五年の国連憲章の武力不行使原則があるのだから、むしろ世界の趨勢といってよい。
 ただし、日本国憲法は戦争放棄(第九条一項)だけではなく、戦力不保持と交戦権否認(第九条第二項)を規定している点で諸国とは大きく異なる。

軍隊のない国家は27ヵ国・地域

 それでは戦力不保持はどうだろうか。コスタリカ憲法第一二条が常備軍の保持を否認していることはよく知られる。スイスのNGO「軍縮を求める協会」コーディネーターのクリストフ・バルビー(弁護士)によると、世界には軍隊のない国家は二七もある。
1.ミクロネシアーーミクロネシア、パラオ、マーシャル諸島、キリバス、ナウル。
2.ポリネシアーーサモア、トゥヴァル、クック諸島、ニウエ。
3.メラネシアーーソロモン諸島、ヴァヌアツ。
4.インド洋ーーモルディブ、モーリシャス。
5.欧州ーーリヒテンシュタイン、アンドラ、サンマリノ、ヴァチカン、モナコ、アイスランド。
6.中米・カリブ海ーードミニカ、グレナダ、セントルシア、セントヴィンセント、グレナディン、セントクリストファ、ネーヴィス、ハイチ、パナマ、コスタリカ。
 軍隊のない国家を数えるには、その定義が定まっていなければならない。定義によっては、コスタリカにも軍隊があるのではないかと疑問が提起されることもある。バルビーは、三つの要件を掲げている(憲法規定、軍事組織の存否、武器武装等の存否)。
 筆者は、バルビーと相談した結果、軍隊のない国家を現地調査することにした。二〇〇五年夏から二〇ヵ国を訪問して調査してきた(前田朗「軍隊のない国家」『法と民主主義』四〇二号[日本民主法律家協会]以下に連載中)。コスタリカやパナマのように憲法に戦力不保持を明示している例は少ないが、軍隊を持っているのが当たり前という通念は改める必要がある。

お隣の国には軍隊がない

「隣の国家には軍隊がない」と言うと怪訝な顔をする人が多いが、ミクロネシア連邦はまさにお隣さんだ。沖縄から目と鼻の先にあるパラオの非核憲法は有名だが、ミクロネシア憲法が世界最初の非核憲法である。パラオはアメリカとの協定のため非核憲法が空文化されているが、ミクロネシアの非核条項は生きている。核兵器だけではなく、原子力施設等も禁止されている。
 ソロモン諸島の中心のガダルカナル島には、日本軍将兵がバンザイ突撃で死んでいった海岸や、食料不足やマラリアで病死した場所が多数ある。その南のヴァヌアツは「世界で一番幸せな国」といわれるが、豊かな自然を残している。七九年のヴァヌアツ憲法起草委員会にはグレース・メラ・モリサという女性が加わっていたので、憲法制定記念式典で彼女が憲法典に署名している貴重な写真(右下)が残っている。女性が署名してできた憲法である。
 インド洋のモーリシャスは、アフリカで唯一の軍隊のない国家である。イギリス植民地時代に、黒人奴隷やインド人労働者が連行された。インド系、黒人、西欧系などが居住し、民族、言語、宗教が多様なため「虹の国」と呼ばれる。経済水準が高く政治的に安定しているが、多文化社会のアイデンティティ統合には苦労しているようだ。
 欧州に目を転じると、リヒテンシュタインは一八六八年に軍隊を廃止した。当時は農業国家だったが、農民が軍隊のための税金に抵抗したことがきっかけとなって、侯爵の権限で軍隊を廃止した。明治期の日本でも同様の要求があったことが想起される。
 他方、アイスランドは第一次世界大戦中にデンマークから独立して非武装永世中立国家となったが、第二次大戦時にイギリス及びアメリカに占領された。第二次大戦後、NATOに加盟し、半世紀以上にわたって米軍が駐留した。アイスランド・アメリカ協定は日米安保条約と似ている。ところが、二〇〇六年九月末までに米軍は完全撤退した。
 カリブ海のドミニカでは、一九八一年のクーデター未遂に加わった軍隊が自国民を殺害した。これが理由となって軍隊を廃止したために軍隊が自国民を殺害したことを契機に軍隊を廃止したコスタリカと似ている。
 それぞれの歴史的経験の中で、軍隊のない国家は平和外交や平和教育を実践している。学ぶべき点も少なくない。

第九条の世界史的意義を

「軍隊のない国家といっても小国ばかりだから日本の参考にはならない」と言う人もいる。問題の立て方が逆さまである。外国法を研究して参考にしようという比較法にも限界がある。「憲法第九条は世界にいかに影響を与えてきたか」こそ問われるべき問題である。二七もある軍隊のない国家は、実は第九条とは関係がない。戦争放棄条項は多少関係があるが、平和憲法の多くも日本国憲法とは直接の関係を持たない。
 一九四六年から六一年が経過した。この間に日本政府が第九条を世界に宣伝し、推奨してきたならば、今頃、世界には戦争放棄憲法があふれ、軍隊のない国家は一〇〇を数えていたのではないかと想像してみよう。現実は逆で、政府は第九条を捻じ曲げ、空文化することに精力を注ぎ込んできた。
 それでは私たちの反戦平和運動はどうであったか。もちろん第九条を「守る」ために懸命の努力をしてきた。しかし、第九条を本当に「使ってきた」といえるだろうか。第九条を世界にしっかり発信してきたといえるだろうか。一九四六年の第九条は、世界で初めて戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認を謳った。その歴史的意義は十分繰り返されてきた。私たちが本当に語らなければならないのは、一九四六年ではなく「二〇〇七年における第九条の世界史的意義」ではないのか。今からでも遅くはない。第九条を現代平和主義の源流とするために、あらゆる機会に発信し、「使う」必要がある。「第九条は人類の宝」とはよく言われるが、憲法は飾っておくものではない。使うものである。使って初めて輝くものである。


まえだ あきら・東京造形大学教授(専攻・刑事人権論)、著書に『侵略と抵抗』(青木書店)、『市民の平和力を鍛える』(K.I.メディア)、『民衆法廷入門』(緋文社)など。

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