- 論文研究資料
(山崎行太郎「月刊日本」7月号)
沖縄県民がが独立戦争に立ち上がる時
- 翁長沖縄県知事訪米す!
■日本本土の沖縄報道こそ偏向している
―― 沖縄の翁長知事は5月末から6月初めにかけてアメリカを訪れ、アメリカ政府などに対して沖縄の民意が辺野古の新基地建設に反対していることを伝えました。
山崎 私は翁長知事の訪米は成功したと考えています。一部ではアメリカの対応が頑なだったことから、翁長知事はアメリカから相手にされていないといった声もありましたが、その認識は間違っています。
アメリカ政府はこれまで沖縄の状況について、日本政府の議論や在日米軍関係者らの報告に基づいて判断していたと思います。当然、日本からは「沖縄が色々騒いでいるが、彼らも本心では辺野古移設に賛成している」といった話ばかり伝わってきていたはずです。それ故、アメリカ政府は何も心配せずに辺野古移設を進めていたのだと思います。
ところが今回翁長知事が直接沖縄の民意を伝えたことで、沖縄に新たな状況が生まれつつあるということがわかったはずです。ジョン・マケインのような大物が翁長知事との会談に応じ、辺野古移設を支持したとはいえ対話の継続を確認したのもその表れです。
アメリカは腐っても民主主義の国です。それ故、地域住民が反対するところに強引に軍事基地を作ることはできません。また、周辺住民の敵意に囲まれた基地は軍事的に機能しません。翁長知事が沖縄の民意を粘り強く伝え、また沖縄の反対運動がさらに大きくなれば、アメリカは自ら普天間から撤退するか、日本政府に辺野古移設を断念するように働きかける可能性があります。
―― 日本政府やメディアにはそのような認識はありません。彼らの議論は、翁長知事は以前は辺野古移設に賛成していたとか、沖縄で反対運動をしているのは本土の左翼運動家だとか、そのようなものばかりです。
山崎 翁長知事が基地反対派に転向したというのはその通りでしょう。しかし、情勢が変われば考えが変わるというのは当然のことです。
また、沖縄の基地問題は日本全体の問題なので、本土の活動家たちが沖縄に乗り込んでいたとしても何らおかしくありません。基地問題を解決するためには本土との協力が不可欠なので、沖縄が本土の運動家たちと手を組むことは決して批判されることではありません。
「沖縄はお金のために反対運動をしている」といった議論も根強くありますが、もしお金だけの問題ならば、翁長知事が誕生し、沖縄の選挙区全てで自民党が負けることはなかったでしょう。その他にも、沖縄のメディアは偏向しているといった批判もよく行われていますが、沖縄のメディアを批判する前に「もしかしたら偏向しているのは自分たちの方ではないか」と己を顧みることが必要です。
■米軍の沖縄駐留をオファした昭和天皇
―― 本土に住む人たちの多くは、メディアの沖縄批判を疑問なく受け入れているように見えます。
山崎 それは本誌1月号でも述べたように、沖縄の歴史を知らないからです。沖縄はもともと琉球王国として独立国家を形成していました。しかし、彼らは琉球処分によって大日本帝国に組み込まれ、戦争末期には沖縄戦という凄惨な戦争を強いられました。もっと遡れば、薩摩藩による武力侵攻も経験しています。それ故、沖縄が本土に反発を覚えるのは当然のことです。
またそれに加え、なぜ沖縄が戦後本土から切り離されてしまったのかということを知る必要があります。沖縄が本土から切り離されて米軍統治下に置かれたのは、サンフランシスコ講和条約によってです。これを締結したのは吉田茂です。
もっとも、吉田は最後まで講和会議に全権として参加することを固辞していました。この時、旧日米安保条約も同時に締結されることになっていましたが、その目的が米軍を占領期と同じように日本全土に自由に駐留させることにあったからです。
もともと吉田にはこれほど不平等な条約を結ぶ気はありませんでした。ちょうどその頃朝鮮戦争が勃発したため、アメリカは戦略上どうしても在日米軍基地を必要としていました。吉田はその状況を利用し、基地提供を外交カードとすることでアメリカから譲歩を引き出そうとしていました。
ところが、吉田は結局このカードを切ることなく、無条件的に基地を提供することをアメリカに約束してしまいました。それは何故か。そこには昭和天皇が大きく関わっていた可能性があります。
この点については、前関西学院大学教授の豊下楢彦氏が『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波書店)の中で、具体的な資料に基づき実証的に論じています。それによれば、昭和天皇はアメリカに文書を送り、在日米軍基地について「日本の側からの自発的なオファ」が必要である旨を述べています。「自発的なオファ」とはすなわち、日本側からお願いして米軍に駐留してもらうということです。
こうした昭和天皇の考えが、吉田の外交方針に大きな影響を与えた可能性があります。実際、吉田は日米交渉の節目節目で昭和天皇に内奏しており、あれほど嫌がっていた講和会議への参加を決めたのも昭和天皇に拝謁した後でした。
昭和天皇は沖縄についてもアメリカに自らの見解を伝えています。いわゆる「沖縄メッセージ」です。そこでは、米軍による沖縄占領が25年から50年、あるいはそれ以上継続されることを望む旨が述べられています。
私はこの昭和天皇の決断は、日本の共産化を防ぐための政治的リアリズムだったと考えています。当時の日本では共産革命が現実味を帯びていました。吉田のようにアメリカと駆け引きして米軍基地を減らしていれば、日本は今頃共産化していたかもしれません。
これは沖縄の人たちには受け入れられない理屈かもしれません。もとより昭和天皇も米軍に沖縄占領を許したことに強い責任を感じていたと思います。その思いは今上天皇に引き継がれています。それは今上天皇が何度も沖縄を訪れていることからも明らかです。
安倍総理や日本のメディアは、この昭和天皇の「苦渋の決断」を全く理解していません。恐らく沖縄メッセージの存在も知らないのだと思います。それ故、沖縄の基地問題の責任が本土にあるということがわからないのでしょう。
■沖縄独立で国家分裂の可能性
―― 昭和天皇の沖縄メッセージを政治的リアリズムとするならば、安倍政権の辺野古新基地建設も中国に対抗するための政治的リアリズムということになりませんか。
山崎 政治の文脈で「リアリズム」が論じられる場合、それは「幻想を排して現実をありのままに認識し、そこから解決策を導くこと」といった意味で使われます。しかし、何をもって「ありのまま」とするかは、論者が現実をどのように捉えているかに左右されます。要するに、リアリズムとは論者の数だけ存在するということです。
とすれば、ある論者が主張するリアリズムが適当であるかどうかを判断するためには、その論者がどのような人間と付き合い、どのような本を読み、どのような価値観を持っているかに注目する必要があります。安倍総理は百田尚樹のメロドラマに感動し、櫻井よしこや中西輝政などの排外主義的な議論を真に受けているようですが、このような人間が主張するリアリズムはそれこそ現実離れしていると言わざるを得ません。
これは昭和天皇のリアリズムとは決定的に異なります。昭和天皇の沖縄メッセージは、共産革命が起こって日本が消滅するかもしれない、あるいは分裂するかもしれないという危機感を背景にしていたと思います。
今、我々に必要なのは、国家とは分裂し得るものであるという現実認識です。明治の「琉球処分」、戦後の「沖縄処分」、そして今回の米軍基地永久化という「辺野古処分」となれば、沖縄県民はもしかすると独立戦争覚悟で立ち上がるかもしれません。そうなれば、尖閣諸島をめぐる中国脅威論どころの騒ぎではなくなります。まさに「沖縄独立論から日本沈没論へ」です。
安倍政権や保守派は沖縄独立への危機感が麻痺しています。そもそも一県知事が政府の頭越しに外交問題に関与したこと自体、スコットランド独立問題やカタロニヤ独立問題などと同様に国家分裂の可能性を予感させる大事件です。日本は今こそ昭和天皇のリアリズムに学ぶ必要があります。
(聞き手・構成 中村友哉)
-
- 月刊日本購読申し込み
琉球独立運動資料館のトップへ行く