討議資料
朝日ジャーナル1982年5月21日号
琉球共和国とヤマトの間 現地直言座談会
「琉球共和社会憲法C私(試)案」はこう述べる。「九死に一生を得て廃墟に立ったとき、戦争が国内の民を殺りくするからくりであることを知らされた。米軍はその廃墟にまたしても巨大な軍事基地をつくった。われわれは非武装の抵抗を続け、『非戦、非軍備』を冒頭に掲げた『日本国憲法』と、それを遵守する国民に最後の期待をかけた。(略)われわれはもう愛想がつきた。交戦国日本よ、好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは無理心中の道行きをこれ以上共にできない」(『新沖縄文学』)
「ヤマト」を拒もうとする「ウチナンチュー」(沖縄の人)は、琉球弧に共和国地図を重ねようと試みる。ほとんど不可能なことと知りながら……。
(編集部)
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