明治以来続く「琉球処分」 高江でも沖縄独立の気運 比嘉 康文
日本政府が機動隊500人余を投入して住民の反対運動を潰し、着工した米軍北部訓練場のヘリパッド(着陸帯)建設工事は法律違反であり、絶対に許すことができない。「沖縄を救うには独立以外にない」。そう思っている県民は多いだろう。
その東村高江や国頭村一帯のやんばるの森には、世界的な珍鳥であるノグチゲラやヤンバルクイナのほか、コノハチョウ、新種のコウモリなど貴重種が生息している。しかし、日本政府には、「人類の遺産を守る」という考えは微塵もなく、米軍優先の工事を強行している。
泊まりがけで行った高江で、友人は「日本政府の暴力から抜け出し、みんなが安心して暮らすには独立しかない」と熱く語っていた。それは単なる机上の「独立論」ではなく、日々闘っている友人の切実な訴えだけに胸に迫るものがあった。
沖縄独立の動きは敗戦直後からあった。ポツダム宣言を読んだ、沖縄諮詢会の仲宗根源和氏は「これで日本との付庸関係はなくなった。独立だ」と考え、沖縄民主同盟という、敗戦後初の政党を立ち上げ、琉球独立を訴えた。
それは生半なことではなく、全国の報道機関や知識人、ハワイなど海外の県人会などに「琉球独立論」の文書5千部を送っている。その情熱は今の沖縄には見られない。
その後、独立の動きは脈々と続いてきたが、大きなうねりにはなり得なかった。日本復帰の運動家たちからは異端視され、米軍政府は復帰運動つぶしに利用しようと画策した。そして「居酒屋独立論」と揶揄されてきた。だが、今ではそれも消え、現実的な「沖縄問題の解決策」の一つとして真剣に語られるようになった。
明治政府による廃藩置県(1879年)の過程では、「警官は旧士族ら100人余を拘束し拷問した。両手を縛り、はりにつるし、棒で殴った。皮膚や肉が破れた痛さで泣き叫ぶ声が獄外に響き、人々を震え上がらせた」(7月28日付本紙「金口木舌」)。それは首里だけの話ではない。わが羽地村の親川番所でも行なわれている。
その有無を言わさぬやり方は高江も全く同じだ。マスコミ報道で明らかなように、機動隊は強権的な排除行為を行なっている。これが菅儀偉官房長官の言う「法治国家」の実態だ。
その結果、高江の闘いの現場でも「沖縄独立」の動きが出てきた。安倍政権は国民を分断し、日本国からの離脱を促進させている。アメリカへ媚を売り、基地建設で国家を分断させて『美しい国へ』(安倍晋三著)向かっている。(宜野湾市、74歳)
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