知恵で非暴力の闘い 沖縄独立論と「塩の道」
本紙の7月14日付「声」に、「沖縄は本気で独立を」という、東京の弁護士の投稿があった。沖縄の独立に必要性があるとはいえ、多くの沖縄の人は憐憫で独立論を語られたくはないのではなかろうか。
沖縄が独立した後に、「戦争のできる国」にするという強い意思を持つ者たちの支配に落ちた隣国が現れたとき、そこに内政干渉することはできない。
だが今は、地方を中央が踏みにじる構図も、民主主義をないがしろにする権力構造も、辺野古新基地の阻止行動であぶりだすことができる。大和を平和憲法順守の国に立ち直らせてこその沖縄独立である。権力の暴力に怖じ気づいて、中途半端に独立論に逃げ込めば、心ある大和人を結果的に置き去りにしてしまう。
今、右傾化する日本国の起死回生の転換点に位置するのは辺野古以外にない。私たちは、辺野古の闘いを通して極東アジアの平和を構築することが、独立に向けた第一歩だと性根を据えることである。
もし安倍政権が辺野古新基地・高江オスプレイ新基地建設を強行すれば、嘉手納基地に「塩の道」ができるだろう。「塩の道」は、インドのガンジーが考え出した暴力に拠らない行進の道だった。塩の専売制を敷いていた英国は、海に向かって行進し海岸で塩を造り始めたインド人の姿に、インド支配を諦めて本国に引き揚げざるを得なかった。
例えば、「塩の道」として、米軍基地への水の供給が平和的な何らかの方法で停止されることである。米軍はその対策として、今から基地内に井戸を掘り始めろと忠告しておきたい。それでも、イタチの最後っ屁のような地下水汚染を米軍は繰り返すのだろうか。
沖縄は古今、水源地を神の領域として、木の伐採も立ち入りさえも禁じてきた。そこを銃剣とブルドーザーで押しつぶした報いは、「塩の道」にて沖縄の神に償われなければならない。
米軍は、日本政府が日本人の1兆円超の血税で造ってくれる辺野古新基地に固執することで、嘉手納基地も失う結果を期待しているのだろうか。イソップ童話に、川面に映った自分の姿を見て、その骨もよこせと吠える犬の話が出てくるのを思い出した。
非暴力の闘いには知恵が集まる。「塩の道」は限りなくある。そして、島で生き続ける沖縄の人は、決して諦めることはない。祖先の魂は、この地に根を張っているのだ。
米軍は抵抗する沖縄に手を焼いて、米国に抗えない佐藤栄作首相に本土復帰を持ちかけた。今、米国に抗えない安倍晋三首相を利用して、沖縄の永久支配を貫徹しようとしている。 (豊見城市、69歳)