「琉球民族の自決権と一国二制度を実現する会」(略称 一国二制度の会)
「旧名称 薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会」 |
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─宜野湾市で「琉球から韓国併合100年を問う」シンポジウム開催 ─
琉球から東アジアの歴史を検証 韓国併合100年を考える 2011.2.6宜野湾市 詳しくはこちら→ (案内チラシ) (会報第五号) イムジン河(曲はこちらフォーククルセイダーズ) |
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大和ぬ世からアメリカ世、
アメリカ世からまた大和ぬ世、
琉球王国とは?
1429年に尚巴志の三山統一により成立した沖縄本島を中心
に存在した王国でそこで生活している人々は奄美諸島から宮古
諸島、八重山諸島、与那国まで及び、さらには海洋民族として
活動範囲はアジア各国に及んでいた。
薩摩の侵攻で王国が幕藩体制に組み込まれると、薩摩藩や江戸
幕府の規制を受けるようになった。1871年の廃藩置県で鹿
児島県に編入され、1872年には琉球藩に、そして1879
年には沖縄県となり王国は瓦解した。
薩摩の侵略とは?
かって沖縄県は琉球王国と呼ばれる独立国であったが琉球の進
貢貿易などによる利益を奪うため薩摩は江戸幕府の許可を得て
1609年3月7日琉球王国に侵攻し5月15日尚寧王を拉致
琉球処分とは?
明治維新で日本政府の中心となった薩摩は琉球王国の冊封、進
貢貿易からの中間搾取を続けるよりは、アジア侵略の処点とし
て琉球王国を日本の植民地にすることがヤマト(日本)にとっ
て利益があるということで600人余の兵を琉球に上陸させ解
体し1879年に沖縄県を設置し尚泰王を首里城から拉致し、
東京九段に幽閉した。これらを「第一次琉球処分」とも言う。
昭和になり帝国日本が太平洋戦争に突入し、地獄の沖縄戦を経
た後、こんどは日本の繁栄と引き換えに日本政府や昭和天皇の
意向により沖縄・琉球が切り捨てられた。米軍は当初、琉球の
独立を支援するかのようにも思われたが、朝鮮戦争が始まった
ことも有り、すぐに冷戦の拠点としての軍事基地を建設し沖縄
を全面占領し続けた。これらを「第二次琉球処分」とも言う。
しかし反戦反基地反安保の「日本復帰」運動の高揚の中、在沖
米軍基地の維持費を日本政府に負担させることを「密約」し、
アメリカは沖縄の施政権を沖縄・琉球人に「返還」するのでは
なく1972年5月15日に日本(ヤマト)に返還した。これ
で日本はアメリカに奪われた植民地(沖縄)を「再併合」する
ことができた。これらを「第三次琉球処分」とも言う。
さて1月30日(金)に「問う会」が結成されました。下記の主旨に賛同なさる方は是非とも「問う会」に入会し、
共に琉球の未来を切り開いて行こうではありませんか。
新聞記事などの参考資料、リンク
アジア民衆を巻き込んで全面闘争だ 金城実 鳩山辞任でも収まらない 沖縄独立の現実味 沖縄独立論現実に? 東京新聞 国連勧告沖縄シンポジウム---タイムス 琉球弧に新基地許さぬ 米ジュゴン裁判に期待 沖縄タイムス論壇 歴史ふまえて将来像を探る 沖縄タイムス オピニオン 薩摩支配の検証不十分 沖縄タイムス論壇 普天間移設問題米国激怒は大ウソ 普天間移設 国民世論「県外」多数 沖縄タイムス 奄美の歴史振り返る 琉球侵略400年でシンポジウム 琉球の世、朝日新聞 「薩摩の琉球支配400年」で熱い議論JanJan 激論「進入」か「侵略」か ---琉球新報 薩摩支配下でも主体性 ---沖縄タイムス 薩摩 400 シンポジウム検索 3.24記者会見
毎日新聞 沖縄史シンポジウム相次ぐ〈5.24琉球処分130年を問う〉
会報創刊号 会報第二号 会報第三号 会報第四号 会報第五号
役員 規約 活動方針 入会申込書(画面をプリントして下さい)
内容 島から 未来への遺産 精神文化 沖縄戦から問う支配と処分 自決権 執 安里英子・安仁屋真孝・石垣金星・海勢頭豊・太田武二・大村博
「問う会」発足記念論集 現在品切れです。 詳しくはこちらをクリック
筆 川満信一・金3a">筆 川満信一・金城実・下地和宏・高良勉・渡久地昇永・比嘉康文
者 福地曠昭・前利潔・真喜志好一・まよなかしんや・宮城鷹夫・屋良朝助
連絡先 〒901-2214 宜野湾市我如古4-16-15
「琉球民族の自決権と一国二制度を実現する会」
(略称 一国二制度の会)」
電話&FAX098-897-0928
Eメールryukyu_OOOO@yahoo.co.jp 0000部分は400130です
ホームページhttp://www.ntt-i.net/ryukyu/index.html
(終了)3月29日 薩摩の琉球支配400年を問うシンポジウム・大激論会 詳しくはこちらをクリック
2009