デッチあげられた海ブドウの産地偽装問題
◆◆◆◆◆宮城弘岩氏の失脚をねらったものか?◆◆◆◆◆
海ブドウが産業になると最初に指摘したのは沖縄タイムス宮古支局長だった比嘉康文さんである。彼は復帰の前年、つまり1971(昭和46)年4月に赴任、宮古島の産業などを念入りに取材していた。当時、宮古には地元紙をはじめマスコミが9社もあったが、警察ネタ(事件事故)は一度も他社に抜かれたことがない、という敏腕記者。
ある日、宮古毎日の砂川泰長記者と久松漁協の久貝組合長が泡盛とさしみ、海ぶどうを持ってきた。比嘉記者は初めて見る海ブドウに興味を示していろいろと質問した。そして、海ブドウが自生している与那覇湾のある下地町役所(当時)を訪ねて取材、与那覇湾の自生地も案内してもらって、記事にした。
当時は日本復帰前年で、住民の間では経済不安が起こっていた。比嘉記者は海ブドウというネーミングに着目し、ひとつの産業になると判断して記事を書いたという。
それだけに海ブドウの産地偽装事件について詳しく調べ、それは誰かが仕組んだデッチあげと見ている。琉球新報は反省記事を書いているが、他のマスコミは何も書いていない。それはどうしたことか。かなり疑問である。不起訴処分の記事が最初に掲載されたのは日本経済新聞である。新聞は一面トップで事件を報道、テレビもトップニュース扱いをしていたが、事件の検証はない。不思議な世界である。琉球新報の反省記事も言い訳がましい書き方である。
海ブドウは半年もすると、黒くなり溶けてしまうのだが、証拠として提出された海ブドウは1年半前のものだという。しかも、7トンの中からわずか140グラムのフイリッピン産が見つかっている。それも不思議だ。県議会では県は海ブドウの定義さえ満足にできなかった。不思議だらけの事件で、今後も追及が続くことは間違いない。
季刊誌『沖縄世論』にも取上げられたが、沖縄県農林水産部は質問に的確に答えていない。この事件を追及しているジャーナリストの比嘉康文氏は「宮城弘岩氏は大田知事の後継者と言われていたので、政治的な失脚をねらったものであろう。この事件が報道されて沖縄の海ブドウが全国の商品棚から消えた。そのことを考えると、沖縄の産業つぶしである。ただでさえ自立経済を模索しているのに、それを仕掛けたグループは絶対に許せるものではない」と批判している。
とにかく、この海ブドウ偽装問題については比嘉康文氏をはじめ『沖縄世論』も注目しており、今後、徹底した取材が続けられ、一冊の本にまとめられるだろう。仕掛け人についてはある程度のメドがついている感触さえ受ける。ここまでくれば、追求を押さえることは難しいだろう。ことしの沖縄県の一大スキャンダルになりそうだ。今後も追及記事を掲載していくので、ご期待下さい。
2010.9.15
◎写真は辺野古での宮城弘岩氏
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