討議資料

沖縄タイムス 2010年9月28日 寄稿

尖閣所有権 沖縄に戻せ  元来は琉球王国に帰属

 中国が尖閣諸島の領有権を主張したのは、1960年代後半からである。最初は台湾、そのあと に中国であった。60年代以前に中国が尖閣領有を主張した文書は現在見当たらない。
 なぜ60年代後半なのか。そのころには、沖縄の日本復帰が決まった時期であった。72年には、沖縄が米国統治下の「琉球」から5月15日に「沖縄県」に復帰する日であった。
 中国にとって琉球は厄介な存在であった。独立国でもなければ米国の自治領でもない。日本に潜在主権があるとはいえ「日本の領土」でもない。尖閣領有を持ち出すと、米国と外交、安全保障問題に発展することは確かだ。まだトウ小平が健在なころであり、老練な戦略家は米国との関係悪化を懸念し、沖縄の本土復帰が確定するまで尖閣領有の主張を保留したものだと思う。それが証拠に、復帰が72年5月15日に決まると領有問題を持ち出して来た。
 さて、なんの理由があって台湾、中国が足並みをそろえて尖閣諸島の領有を主張したかといえば、60年代に国連の機関が発表した、ある報告書に原因がある。それによると、東シナ海の尖閣諸島と台湾の間の浅海底に膨大な量の石油・天然ガスの埋蔵が確認されたというのだ。台湾、中国が色めき立ったのは当然であろう。なにしろのどから手が出るほど欲しい石油が目の前にあるのだ。
 尖閣領有を主張することで、日本企業の開発を阻止することが狙いであったと思う。尖閣諸島周辺には多くの日本企業が試掘権を得るための権利(先願権という)を持っている。先願権を持たないものは、試掘、採掘の申請をすることができない。中国が尖閣領有を宣言したことで、日本企業は中国側の妨害工作(中国政府ではなく、尖閣保全を唱える民間団体)を恐れ、試掘申請ができない状態にある。
 尖閣諸島は、幾世紀も前から琉球王国に帰属している。往時、尖閣諸島が大和(日本)、唐(中国)に帰属したことはない。まぎれもなく、琉球王国の版図にある。
 琉球王国が琉球藩になり、廃藩置県後沖縄県になり、太平洋戦争後琉球になり、さらに沖縄県に呼称は変わっても、いにしえの琉球王国の血脈は変わりなく受け継がれ現在に至っている。
 現在、尖閣諸島最大の魚釣島は埼玉県在住の事業家の所有になっている。政府が借り上げ賃借権を設定している。同諸島は、沖縄県の所有に戻すべきだとわたしは思う。
(那覇市、会社役員、71歳)



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